
高齢化が進む日本社会において、認知症のある人と企業現場が交差する場面は、すでに日常になっている。
それにもかかわらず、多くの現場ではいまだ「想定外」として混乱が起きている。
この違和感の正体を、あらためて整理してみたい。
日本はすでに、世界でも例を見ない超高齢社会に入っている。
街のスーパー、銀行、公共交通機関、企業の窓口――日常のあらゆる場面に、認知症のある人が自然に存在している。
65歳以上の高齢者のうち、認知症の有病率はおよそ6人に1人とされる。
これは医療や介護の現場だけの話ではない。
企業活動そのものが、この現実と切り離せなくなっているという事実である。
それでも現場では、
「ガイドブックは用意してある」
「大きな問題はまだ起きていない」
という言葉が繰り返される。
しかし、ここに一つの大きな落とし穴がある。
“知っているつもり”でいることが、最も危うい状態だという点だ。
これは数ある要因の一つの視点にすぎないが、現場で起きる混乱の多くは、悪意や非常識ではなく、認識のずれによって生じている。
認知症のある人と、そうでない人とでは、同じ出来事を見ていても、世界の前提が異なる。
たとえば、支払いができない状況。
本人の中では「いつも通り買い物をしている」感覚であっても、周囲から見れば「トラブル」に映る。
注意や説明のつもりで発した言葉が、本人には「否定」や「攻撃」として届いてしまうことがある。
このとき現場で起きているのは、ルール違反への対処ではない。
認識の前提が異なる者同士が、同じ前提で会話しようとしている構造そのものである。
さらに、この影響は顧客対応にとどまらない。
怒鳴り声、繰り返される混乱、判断を委ねられる現場スタッフ。
「どう対応すればいいのか分からない」状態が続けば、不安と疲弊は蓄積され、離職につながることもある。
つまり、認知症への理解不足は、
・顧客対応
・現場の安全性
・人材定着
といった、企業経営の根幹に静かに影響を及ぼす。
ここで重要なのは、「正解の対応」を探すことではない。
認知症は症状も背景も人によって異なり、万能な対応策は存在しない。
問うべきなのは、
「自分たちは、どんな前提で相手を見てきたのか」
という点である。
新型感染症への対応が混乱した背景には、「分からないものを、分からないまま扱おうとした」構造があった。
認知症も同様である。
理解が曖昧なままでは、制度やルールは現場を守る力を持たない。
認知症を理解するとは、症状を暗記することではない。
その人が見ている世界が、自分とは異なる可能性を受け取ることだ。
それだけで、現場の空気は確実に変わり始める。
「対応が難しい」のではなく、「前提がすれ違っていた」――その事実に気づいたとき、見える景色は変わり始めるのではないだろうか。
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